企業の中国進出 ~そのチャンスとリスク~
私は前職(PwC)で2016年秋から2019年春までの2年半、中国・上海に駐在する機会を得た。赴任当時は中国経済の成長鈍化と日系企業の苦戦が報じられていた時期であり、私の所期の任務は日系企業の中国における事業再生支援であった。
ところが、赴任後間もなく、大方の予測に反し中国は堅調な経済を取り戻し、結局私の駐在期間においては、再生・撤退案件はごく少数にとどまり、大半を占めたのは中国企業への資本参加・買収といった前向きな投資案件であった。
今回は、当時の私の業務経験をベースに、日本企業の中国進出に係るチャンスとリスクについて解説したい。
中国進出のチャンス
(1) 圧倒的な市場規模
中国国内の賃金上昇に伴い、日本などに輸出するための単なる工場の建設や取得は今や皆無に等しく、近年の中国進出の目的は「中国国内市場の取り込み」が主となっている。2010年に日本を抜いて世界第2位となった中国の名目GDPは、ほぼゼロ成長が続く日本の既に約3倍に達し、2030年には米国に肩を並べると言われている。まだまだ成長するこの巨大マーケットをもはや無視することはできまい。
(2) 日本品質・日本ブランドに対する根強い支持
2012年に起きた尖閣問題の際には日本製品の不買運動も起きたが一過性に終わった。基本的に中国人は以前の粗悪な自国製品と比べてか、日本製品を高く評価する。自動車、家電、化粧品は代表例であり、現地のニトリ、ユニクロ、無印良品などの店舗はいつも大賑わいだ。今では「日本」=「お洒落でクール」といったイメージを持つ若者も多く、日本企業にとっては追い風である。
(3) 実は親日家が多い
その強権的な政治姿勢から、中国に対しては中々親しみを持ちにくいが、それは中国共産党による一党支配がもたらす一面に過ぎない。中国に住んで初めて分かったが、日本に対して特段ネガティブな感情を持つ中国人など殆どおらず、むしろ、日本が好きで、独学で日本語を学び、毎年日本へ旅行し、日本文化に積極的に触れようとしている。訪日中国人のマナーに閉口することもあるが、彼らを温かく迎えようではないか。彼らは純粋に日本が好きなのだ。そんな「日本ファン」が多い中国は、日本企業にとって打って付けのターゲットである。
中国進出のリスク
(1) 人件費の上昇
輸出のための単なる工場建設や取得を目的とした進出が殆どなくなった点は上述したが、中国国内で売るために現地に工場を建てる或いは買収するといった投資は依然として多い。その際に最も留意が必要なのが賃金の継続的な上昇である。省や都市によって水準に差はあるものの、概してこの20年で賃金は約4倍に高騰、近年では年率+8~11%という驚異的な伸長を見せている。GDPが急伸する中国も、一人当たり換算ではまだ日本の4分の1。経済のグローバル化は国を跨いでの所得の平準化をもたらすため、まだまだ中国の賃金上昇は止まりそうにない。ちなみに中国で事業計画を策定する際には、年10%の昇給率を見込むのが定石となっている。
(2) 二重帳簿の存在、社会保険における不正
中国ローカル企業に対してデューデリジェンスを実施すると、ほぼ例外なくこの二つの問題に直面する。中国では往々にして、実態を示す財務諸表とは別に、税務申告用に売上や利益を過少計上した財務諸表が作成される。どちらが公式な財務諸表かといえば政府に提出した方ということになるが、自社を過小評価されたくない企業オーナーは例外なく二重帳簿の存在を告白し、デューデリジェンスの調査対象は実態を示す方の財務諸表となるのが通常である。
一方、社会保険における不正とは、日本でいうところの標準報酬月額を過少申告して、不当に保険料負担を免れようとするものである。日本と同様に、会社負担と従業員負担があるが、将来的に不利益を被りかねない従業員としても、足元の手取り給料が増加するため、こうした会社の処理を歓迎する面がある。
二重帳簿も社会保険不正も、当局の取り締まりが驚くほど緩いのが不思議であるが、コンプライアンスを重視する日本企業がこうしたローカル企業に資本参加する或いは買収するに当たっては由々しき問題である。どちらも、日本企業の出資前までに正しい方向に修正されることになるが、それは、将来の税金や人件費のコスト増という結果を招くため、収益力の見立てにおいては注意が必要となる。
(3) 政府の権力
中国企業が外国からの出資を受け入れ「外商投資企業」になる場合は、商務部(日本の経済産業省に相当)又は地方の商務主管部門による審査・認可が行われ、また、所在地の工商行政管理局において登記が必要になるが、これが非常に時間が掛かる。中国M&Aがクロージングまでに長期を要する所以である。特に地方政府の役人が厄介で、その地方での税収増加が見込めるか、ひいては役所における自分個人の評価に繋がるかという観点で審査されるから堪らない。また、中国ではすべての土地は政府から期限付きで借り受けるものであるが、その期限が到来し、更新が必要になった場合でも、地方政府が期待する水準の納税が出来ていない企業には更新が認められず、撤退を余儀なくされる。中国ビジネスにはこうした理不尽さ、不自由さも伴う。
(4) 撤退時の困難
業績不振などにより工場を閉鎖するなど撤退する場合の困難は半端でない。過去には工場閉鎖の決定を知った従業員が騒ぎを起こし、日本人総経理が軟禁され、閉鎖の撤回や補償を求められる事件が散発的に発生した。今では、撤退時に一定の経済補償金を支払わざるを得ないことは常識となっており、何より、労使間の丁寧なコミュニケーションが重要となっている。